11月19日
昨夜孫から家内に電話がありました。
孫の第一声が「いまどこ?」というのだったそうです。
家へかけてているのに「いまどこ?」というのは孫には携帯電話しかないのですね。
固定電話がそれだけ生活から遠ざかっていきます。
わたしも固定観念にしばられず、携帯観念に切り替える必要がありそうです。
昨夜孫から家内に電話がありました。
孫の第一声が「いまどこ?」というのだったそうです。
家へかけてているのに「いまどこ?」というのは孫には携帯電話しかないのですね。
固定電話がそれだけ生活から遠ざかっていきます。
わたしも固定観念にしばられず、携帯観念に切り替える必要がありそうです。
ビンラディンが2001に腎臓病で亡くなっていた。
とか、同時多発テロはアメリカの自作自演だとテレビで話ていたが、なぜいまこんな話を持ち出してくるのか。
わたしはアメリカの自作自演だという本は発売当時に買った。
こんな話はもう織田信長が死んだか逃げ延びたかという遠いむかし話と同じことです。
フセインはどうなりました。
カダフイ大佐は家族を逃がして自分が捕まるというようなことがあるのでしうか。
この話題はいま必要なのでしょうか。
テレビの討論会番組で韓国の番組が多いのは仕入れ値段が安いと言ってましたが、安くても面白くなければ人は見ません。
美男美女に筋の面白さ、戦闘場面の壮大さ日本ではしても制作できないでしよう。
俳優の演技も達者で配役によってメイクも演技も変えてます。
配役がよくても脚本が悪いと見ません。
討論も結構ですが討論の結果が出たとして、それが実行されることはないのです。
つまり無駄な討論会ということになりませんか。
討論する人も同じ人でなく違った人の意見をきくのも番組に変化がでるのではないでしょうか。
韓国のダンスのあのエネルギー、高齢者の討論よりも活気があります。
「カタカナ語辞典」に「フオッサム・マグナ」とあって、意味は「大きな割れ目」で本州の中央部を東西に2分する中央大地溝帯があるのです。
これでは地震が度々あつても不思議ではありません。
大臣が度々変るのもその所為かもネ。
「カタカナ語辞典」に「フオッサム・マグナ」とあって、意味は「大きな割れ目」で本州の中央部を東西に2分する中央大地溝帯があるのです。
これでは地震が度々あつても不思議ではありません。
大臣が度々変るのもその所為かもネ。
韓流ドラマが多いといって大勢の人がフジTVへ押しかけたそうだけれど、韓国ドラマのフアンも多いのです。
現在の日本のテレビ番組で何が楽しめる番組か教えてほしい。
韓国の俳優はたとえ「直し美女」であろうが、綺麗ですし、男の俳優も演技が番組によって色を変えているのが楽しめます。
日本の俳優は手持ちの演技で過ごしているのではと思えるのです。
クイズやラーメン、食べあるき、もう堪忍してほしいと思っています。
大阪府知事率いる「維新の会」が教育基本条例案に「愛国心」を明記する、という記事を読んで戦争・空襲・敗戦を経験した私はゾーッとした。
「愛国心」という名のもとに何百人という人が亡くなった。
特攻隊、原爆被災者。
人間が一番愛するのは「個人」なのです。
「誰のためにも」生きているのではありません。
「哲学用語の基礎知識」にある原爆娘の言葉がのっています。
「また戦争をしたい人がいたら、私の顔を見せてやりたい。
そんな人は人間じゃない」、を水の泡にさせるような「愛国心」は、お互いもちたくないものである。
家内が倅のところへ電話をすると、孫がでてきて「いま花火大会の花火を友達とみていると話して。
「おじいちゃんは」と聞くので家内が「お勉強中」と答えると、「寝てるのと違う?」と言ったのですが、(そんなこというて実は)という言葉が抜いてある。
言葉に表情がある。
さすがは「ぽん太師匠」、言葉の省略を知ってますね。
その孫がわたしの誕生日に仮面ライダーをファックスで届けてくれた。
そや、仮面ライダーの面をこしらえるようにたのまれてた。
女性ばかりのアイドル集団がテレビ番組のすべてに顔をだしているように見えます。
これが広がってくると、いままでの無芸大食だけのタレントに影響がでてくるのではありませんか。
まさに世の中はたえず変動しています。
それを変らないと思っているので人間は悲しくなるのでしょう。
それはそれとして放射能は止まらないのかなぁ。
スイッチをいれて動かしたのだからスイッチをきったら止まると素人は考えるのですがねぇ。
上げ足とりになりますが、俳優が韓流ドラマばかりのテレビ局は見ないと言ってますが、日本のテレビで見られる番組がありますか。
この俳優が政府のエネルギー政策を批判したら、芸能人らしからぬと書いていますが、芸能人は政策を批判してはいけないのでしょうか。
それよりも何にでも顔を出してる有識人というのはホントウに必要なのでしょうか。
視聴者に向かって解説するのではなく、スタジオ内だけで話をしているように思えます。
「日本の伝統番組」というのはどんなものなのでしょう。